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写意画・無根樹100首-第25首#442

写意画・無根樹100首-第25首#442– 道(タオ)の哲理詩に基づく写意画アート作品

 無根樹の詩には、天地との調和、陰陽の循環、無限の可能性を秘めた「根源的な力」が表現されています。
 この絵は、中国の武当山に代々伝統的に伝わってきた、符図として観念を写意した写意画で、行気(ぎょうき=気の流れ)によって、観念化された意が画面に宿る技法にて描きます。
座る人物が符図を掲げ、気の流れとともに描かれた写意画。道(タオ)の世界を象徴する霊的な図像が、観る者の心に響き、天地との調和と精神的な静けさをもたらす。 道(タオ)の世界には、「符図(ふず)」と呼ばれる霊的・象徴的な図像があります。
 これは一種の呪符でありながらも、単なる宗教道具にとどまらず、写意的に描かれた霊的絵画で、観る者の精神面に直接働きかける精神感応的な美術としての力を持っています。
 そのため、古来より多くの人々が、不老長寿、健康、吉祥、家庭の調和などを願い、こうした道家的写意画や符図を自宅や書斎、寝室に飾ってきたのです。絵を見ることは、単に美を愛でるのではなく、生活に「道」の気配を招き入れ、心身を調律するための行いとされていました。
 このように写意画は、単なる絵画表現にとどまらず、人の精神・生活・宇宙との調和を媒介する芸術です。
 この写意画は、「目で見るもの」ではなく「心で感じるもの」です。
 それは道(タオ)と通じ、自然の気と共鳴し、観る者の内面を静かに動かす力を持ちます。
 符図や写意画は、古より今に至るまで、”人の魂に語りかける「霊なる絵」”として息づいているのです。
 下記にこの写意画の意となる「哲理詩」無根樹の原文と、現代日本語訳とその解釈を添えておきましたので、是非お読みください。
 ※無根樹の作者「張三丰(1247年〜?)」は、太極拳を確立した人物としても有名で、太極拳にもこの無根樹を適用しました。補足として、武当山に伝わってきた太極拳との関連解釈も記載しておきました。

無根樹・第25首

写意画・無根樹100首-第25首#442– 道(タオ)の哲理詩に基づく写意画アート作品

原文

無根樹,花正靜,風過不動水無聲。虛懷若谷藏天地,一氣迴旋合太清。

現代日本語

根のない木に、静かに咲く花。風が吹いても揺れず、水面のように音もない。谷のように心を虚しくして天地を包み、一つの氣がめぐり、太清(たいせい)の境地と合一する。

解釈

この詩は、「静の極致」「心の虚無」「宇宙との一致」を表しています。【1】無根樹,花正靜(むこんじゅ はなまさにしずかなり) 根のない木に咲く静かな花は、「外界に動じない精神の象徴」。 動揺せず、ただそこにある姿は、理想の精神状態を示しています。【2】風過不動水無聲(かぜすぎても うごかず みずにこえなし) 外の刺激(風)にも心(花)は揺れない。水のように静寂。 これは「無反応ではなく、深い受容と安定」を意味します。【3】虛懷若谷藏天地(きょかいこくのごとく てんちをかくす) 「虚懐若谷」は『道徳経』にも出る名句。谷のように低く、広く、虚しい心。 その心が天地を抱く器となり、すべてを内包できることを示唆しています。【4】一氣迴旋合太清(いっきかいせん たいせいにあう) 一つの氣が体の内を循環し、太清(宇宙的な清浄)と合一する。 これは、個と宇宙が一つに溶け合う「大道(たいどう)の境地」を詠んでいます。

太極拳との関連解釈

この詩は、太極拳の上級者が目指す「静中の動・動中の静」の体現を表しています。【1】花正靜:静かなる動き 動いていても心は静か。静の中にすべてがあるという太極の理を示します。【2】風過不動水無聲:動じない感覚 外からの接触にもすぐ反応せず、内で受けて、無音・無形に処する。 “以静制動”──静で動を制する境地です。【3】虛懷若谷:受けの構え 心を虚しくし、相手の力や動きを全て受け入れられる状態。 これは太極拳における理想の構えであり、相手の力を自分の内で捌くために必要です。【4】一氣迴旋合太清:一体感の完成 氣の循環(小周天・大周天)を通して、天地自然と一体化する。 ここに至って、技は技でなくなり、「氣の舞」となります。

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