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写意画・無根樹100首-第34首#324

写意画・無根樹100首-第34首#388– 道(タオ)の哲理詩に基づく写意画アート作品

 無根樹の詩には、天地との調和、陰陽の循環、無限の可能性を秘めた「根源的な力」が表現されています。
 この絵は、中国の武当山に代々伝統的に伝わってきた、符図として観念を写意した写意画で、行気(ぎょうき=気の流れ)によって、観念化された意が画面に宿る技法にて描きます。
座る人物が符図を掲げ、気の流れとともに描かれた写意画。道(タオ)の世界を象徴する霊的な図像が、観る者の心に響き、天地との調和と精神的な静けさをもたらす。 道(タオ)の世界には、「符図(ふず)」と呼ばれる霊的・象徴的な図像があります。
 これは一種の呪符でありながらも、単なる宗教道具にとどまらず、写意的に描かれた霊的絵画で、観る者の精神面に直接働きかける精神感応的な美術としての力を持っています。
 そのため、古来より多くの人々が、不老長寿、健康、吉祥、家庭の調和などを願い、こうした道家的写意画や符図を自宅や書斎、寝室に飾ってきたのです。絵を見ることは、単に美を愛でるのではなく、生活に「道」の気配を招き入れ、心身を調律するための行いとされていました。
 このように写意画は、単なる絵画表現にとどまらず、人の精神・生活・宇宙との調和を媒介する芸術です。
 この写意画は、「目で見るもの」ではなく「心で感じるもの」です。
 それは道(タオ)と通じ、自然の気と共鳴し、観る者の内面を静かに動かす力を持ちます。
 符図や写意画は、古より今に至るまで、”人の魂に語りかける「霊なる絵」”として息づいているのです。
 下記にこの写意画の意となる「哲理詩」無根樹の原文と、現代日本語訳とその解釈を添えておきましたので、是非お読みください。
 ※無根樹の作者「張三丰(1247年〜?)」は、太極拳を確立した人物としても有名で、太極拳にもこの無根樹を適用しました。補足として、武当山に伝わってきた太極拳との関連解釈も記載しておきました。

無根樹・第34首

写意画・無根樹100首-第34首#388– 道(タオ)の哲理詩に基づく写意画アート作品

原文

無根樹,花正孤,幽深夜空仰望無。心無畏怖何所憂,清風拂面自如歌。

現代日本語

根のない木に、花は孤独に咲く。幽暗な夜空を仰ぎ見ても、何も見えない。恐れも悩みもなく、何を心配することがあろうか。清風が顔を撫で、心は自然と歌うように軽やか。

解釈

この詩は、「孤高の境地」と「心の自由」を象徴しています。不安定な状況であっても、外に依存せず内なる静けさを保つことが重要であるという教えです。【1】無根樹,花正孤(むこんじゅ はなまさにこなり) 根のない木に咲く花が孤独であるという描写は、孤立や孤高を意味します。しかし、それは否定的ではなく、自立と自分らしさの象徴です。【2】幽深夜空仰望無(ゆうしんのやくうをあおげども なきことをのぞむ) 深く暗い夜空を仰いでも、目に見えるものはない。これは「外に答えを求めても得られない」ことを示し、内面を見つめることの大切さを語っています。【3】心無畏怖何所憂(こころにいふなし なにをうれえん) 心に恐れがなければ、悩みは自然と消える。真に自由な心は、恐れや執着から解き放たれていることを意味します。【4】清風拂面自如歌(せいふうかおをなでて おのずからうたうがごとし) 清らかな風が顔を撫でるように、自然の流れの中にいるとき、人の心は軽やかに歌い出すような感覚になります。無為自然の美しさと調和を描いています。

太極拳との関連解釈

第34首は、太極拳の「恐れを離れ、自然と調和する在り方」を表しています。【1】無根樹,花正孤:孤独と自立 練習の中で、自分自身の身体と心にただ随うことの大切さを示します。外の基盤に頼らず、自分の中心を育てる姿勢です。【2】幽深夜空仰望無:外に求めない悟り 型や外見ばかりにとらわれず、本質的な「気の流れ」や「意のあり方」に目を向ける。これは太極拳における「内観」にあたります。【3】心無畏怖何所憂:恐れを超えた心の自由 攻撃を恐れず、崩れず、ただ流れの中にある心構え。恐れを手放すことで、動作はより円滑になり、技の本質に近づきます。【4】清風拂面自如歌:自然と調和した動き 自然呼吸と自然動作が一体となり、力まず自然体で動く様は、風にそよぐ柳のごとく。無理のない美しさが生まれます。

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