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写意画・無根樹100首-第1首#529

写意画・無根樹100首-首外第1首#544– 道(タオ)の哲理詩に基づく写意画アート作品

 無根樹の詩には、天地との調和、陰陽の循環、無限の可能性を秘めた「根源的な力」が表現されています。
 この絵は、中国の武当山に代々伝統的に伝わってきた、符図として観念を写意した写意画で、行気(ぎょうき=気の流れ)によって、観念化された意が画面に宿る技法にて描きます。
座る人物が符図を掲げ、気の流れとともに描かれた写意画。道(タオ)の世界を象徴する霊的な図像が、観る者の心に響き、天地との調和と精神的な静けさをもたらす。 道(タオ)の世界には、「符図(ふず)」と呼ばれる霊的・象徴的な図像があります。
 これは一種の呪符でありながらも、単なる宗教道具にとどまらず、写意的に描かれた霊的絵画で、観る者の精神面に直接働きかける精神感応的な美術としての力を持っています。
 そのため、古来より多くの人々が、不老長寿、健康、吉祥、家庭の調和などを願い、こうした道家的写意画や符図を自宅や書斎、寝室に飾ってきたのです。絵を見ることは、単に美を愛でるのではなく、生活に「道」の気配を招き入れ、心身を調律するための行いとされていました。
 このように写意画は、単なる絵画表現にとどまらず、人の精神・生活・宇宙との調和を媒介する芸術です。
 この写意画は、「目で見るもの」ではなく「心で感じるもの」です。
 それは道(タオ)と通じ、自然の気と共鳴し、観る者の内面を静かに動かす力を持ちます。
 符図や写意画は、古より今に至るまで、”人の魂に語りかける「霊なる絵」”として息づいているのです。
 下記にこの写意画の意となる「哲理詩」無根樹の原文と、現代日本語訳とその解釈を添えておきましたので、是非お読みください。
 ※無根樹の作者「張三丰(1247年〜?)」は、太極拳を確立した人物としても有名で、太極拳にもこの無根樹を適用しました。補足として、武当山に伝わってきた太極拳との関連解釈も記載しておきました。

無根樹・首外第1首

写意画・無根樹100首-首外第1首#544– 道(タオ)の哲理詩に基づく写意画アート作品

原文

無根樹,花正白,潔淨無瑕氣自直。不因世濁污芳心,孤芳自賞天地寂。

現代日本語

根のない木に、白く咲いた花。その花は汚れがなく、気はまっすぐ清らか。世の濁りに染まることなく、孤高の香りを、天地の静けさの中にただ楽しむ。

解釈

この詩は、「清らかさと孤高の精神性」を示しています。無根樹に咲く白い花は、欲や評価に染まらぬ純粋な魂を象徴しています。【1】無根樹,花正白(むこんじゅ はなまさにしろし) 根なき木に咲く白い花は、あらゆる執着や濁りから離れた潔白の象徴です。仏教的にも道教的にも、白は「無垢」や「真理」に通じます。【2】潔淨無瑕氣自直(けっじょうむか きおのずからなおし) 気がまっすぐに通っている状態は、正しい修練と自然体の成果。自らに偽りがなければ、身体にも歪みが生じません。【3】不因世濁污芳心(よのにごりにもよごされず ほうしんをまもる) 世の価値観に左右されず、香り(=本質)を濁さぬ心のあり方。孤高ながらも凛とした姿です。【4】孤芳自賞天地寂(こほうじしょう てんちのしじまにたのしむ) 誰かの賞賛を求めるのではなく、ただ己の心に咲いた美しさを楽しむ。真に自立した修練者の境地です。

太極拳との関連解釈

首外第1首は、太極拳の「静なる心と真なる功」の価値を深く示しています。【1】無根樹,花正白:無垢な精神性と自己の純粋性 太極拳の練功において、動作の美よりも心の静けさと誠実さが重んじられます。白い花は、その精神の結晶。【2】潔淨無瑕氣自直:正しい気の通り 氣が歪まず丹田からまっすぐに立ち上がることで、身体も心もまっすぐになる。立禅や起勢の理想的な気の状態です。【3】不因世濁污芳心:流されない型の確立 他人の流派や評価に流されず、自分の型と感覚を信じて研鑽すること。独自性と孤高が、修練者を本物へと導きます。【4】孤芳自賞天地寂:天地との共鳴 静寂の中で、自然と一体となって動く。太極拳の最も深い境地は、「天地と一つになる感覚」に通じています。

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