荘子の写意画とコメディ=バレ
次の作品は、荘子の写意画を手がけています。ここでは、一作品だけご紹介しますが、全作品が完成したら、発表するつもりです。
荘子は、人為的な価値判断や固定化された秩序を相対化し、「戯れ(遊)」の中にこそ真の自由があると説きました。
バレーの原型となっているコメディ=バレは、単なる音楽劇の一形式ではなく、「秩序と逸脱」「遊戯と真理」を同時に成立させる舞台芸術として、西洋における身体表現の流れの中で重要な位置を占めています。
この構造は、意外にも荘子の思想と深い親和性を持っています。
コメディ=バレを多く世に送り出したジャン=バティスト・リュリにとって、笑い、逆説、仮面、役割の転倒は、世界の本質を照らすための重要な方法でした。人は深刻さを手放したとき、はじめて自然(道)と一致できる――この考え方は、後世の演劇や舞踊における「笑いの哲学」の原型と見ることができます。
17世紀フランスにおいて成立したコメディ=バレは、まさにこの「戯れとしての真理」を、宮廷的秩序の内部で実現した芸術でした。
リュリとモリエールによる作品群では、愚かさや虚栄、社会的誤解が笑いとして提示されますが、その笑いは秩序を破壊するものではありません。
むしろ、笑われることで「身の程」や「調和」が再確認され、観客は安心して逸脱を経験します。ここにあるのは、荘子的な「無用の用」、すなわち役に立たないように見える遊戯が、結果として秩序を支えるという構造です。
コメディ=バレにおける舞踊は、言葉以上に雄弁です。
身体は誇張され、転倒し、時に滑稽になりますが、そのすべては厳密な音楽的時間の中で管理されています。
この「自由に見えるが、完全に制御された身体」は、近代バレエへと直接つながっていきます。古典バレエにおける軽やかさ、均衡、空中性は、笑いと規律が両立する場としての舞台から生まれました。
現代バレエにおいても、物語性の解体、日常的動作の導入、アイロニーやユーモアの使用は、決して偶然ではありません。それは、荘子以来の「遊びとしての身体」「固定された意味からの解放」という思想が、形を変えて受け継がれている証です。コメディ=バレは、西洋舞踊史における一時代の娯楽ではなく、笑いと身体を通して世界を相対化する、普遍的な芸術的態度の結晶なのです。
このように、荘子の思想は西洋の舞台芸術にも親和性があり、荘子の写意画を世界にご紹介したいと思い現在創作中です。
『荘子』逍遥遊篇 冒頭
北冥有魚,其名為鯤。鯤之大,不知其幾千里也;化而為鳥,其名為鵬。
……乘天地之正,而御六氣之辯,以遊無窮者,彼且惡乎待哉。
読み下すと、「北冥に魚あり、その名を鯤という。鯤の大いなること、その幾千里なるかを知らず。これ化して鳥となり、その名を鵬という。……天地の正に乗じ、六気の弁を御して、もって窮まりなきに遊ぶ者は、かれ且つ何をか待たんや。
「遊」=戯れ・自由な運動、無窮に遊ぶ(無限の自由)、何ものにも依存しない自由(無待)を述べています。
この写意画がこの作品です。全作が完成したらこの作品も世に出します。
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