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写意画・無根樹24章-第8章#285

写意画・無根樹24章-第8章#285– 道(タオ)の哲理詩に基づく写意画アート作品

 無根樹の詩には、天地との調和、陰陽の循環、無限の可能性を秘めた「根源的な力」が表現されています。
 この絵は、中国の武当山に代々伝統的に伝わってきた、符図として観念を写意した写意画で、行気(ぎょうき=気の流れ)によって、観念化された意が画面に宿る技法にて描きます。
座る人物が符図を掲げ、気の流れとともに描かれた写意画。道(タオ)の世界を象徴する霊的な図像が、観る者の心に響き、天地との調和と精神的な静けさをもたらす。 道(タオ)の世界には、「符図(ふず)」と呼ばれる霊的・象徴的な図像があります。
 これは一種の呪符でありながらも、単なる宗教道具にとどまらず、写意的に描かれた霊的絵画で、観る者の精神面に直接働きかける精神感応的な美術としての力を持っています。
 そのため、古来より多くの人々が、不老長寿、健康、吉祥、家庭の調和などを願い、こうした道家的写意画や符図を自宅や書斎、寝室に飾ってきたのです。絵を見ることは、単に美を愛でるのではなく、生活に「道」の気配を招き入れ、心身を調律するための行いとされていました。
 このように写意画は、単なる絵画表現にとどまらず、人の精神・生活・宇宙との調和を媒介する芸術です。
 この写意画は、「目で見るもの」ではなく「心で感じるもの」です。
 それは道(タオ)と通じ、自然の気と共鳴し、観る者の内面を静かに動かす力を持ちます。
 符図や写意画は、古より今に至るまで、”人の魂に語りかける「霊なる絵」”として息づいているのです。
 下記にこの写意画の意となる「哲理詩」無根樹の原文と、現代日本語訳とその解釈を添えておきましたので、是非お読みください。
 ※無根樹の作者「張三丰(1247年〜?)」は、太極拳を確立した人物としても有名で、太極拳にもこの無根樹を適用しました。補足として、武当山に伝わってきた太極拳との関連解釈も記載しておきました。

この写意画のタオコード・風水・符の詳細

道の哲理において、すべての動きは静寂から生まれます。
「無根樹」第24首は、闇から光へ、静から覚醒へと移ろう変化を描いています。それは再生の詩——明晰さが再び湧き上がる「源への回帰」を詠うものです。

墨の濃から淡、そして金色の光へと移ろう筆致は、冥想の息づかいのように静かに上昇し、
解放と超越を象徴しています。
上部に輝く光は、可視の世界を超えた意識の領域を示し、形が空へと溶けていく冥想的な律動を観る者に体感させます。

この作品は「昇清の気」を象徴し、成長・集中・浄化の上昇エネルギーを放ちます。
玄関や書斎、制作スペースなど、意識の明瞭さや創造性を高めたい空間に適しています。
金色は五行の「金」に属し、明晰と洗練をもたらし、墨の濃淡のグラデーションは滞りを祓い、再生の流れを呼び込みます。

この絵が、見る者の心と空間を静かに整える符(タリスマン)として、清らかな気の流れを運ぶ存在でありますように。

無根樹・第8章

写意画・無根樹24章-第8章#285–

原文

無根樹,花正飛,卸了重開有定期。鉛花現,癸盡時,依舊西園花滿枝。對月纔經收拾去,又向朝陽補衲衣。這玄微,世罕知,須共神仙仔細推。

現代日本語

無根の木に咲いた花が、今まさに風に舞って飛んでいく。一度は散っても、再び咲く定めがある。「鉛の花」は、特別な時期に現れる。それは旧暦の年末に、また満開となる。月明かりのもとで、それを収めた直後、また朝日のもとで衣を繕う。この奥義は、世間ではほとんど知られていない。仙人と語らうように、慎重に探求しなければならない。

解釈

•「鉛の花」=丹薬、内丹の象徴。•「癸」=水・陰・終わりの象徴で、修練の節目。•「朝陽」=新たな始まり、再生。•「補衲衣」=修復・修練・徳の積み直し。

太極拳との関連解釈

•稽古には周期性がある。停滞・下降しても、再び開花する。•内的エネルギー(気)は「収束→再燃」というリズムがある。•「対月」=静功・夜の修練、「朝陽」=陽の動作・再起。

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