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写意画・無根樹100首-第23首#533

写意画・無根樹100首-第23首#533– 道(タオ)の哲理詩に基づく写意画アート作品

 無根樹の詩には、天地との調和、陰陽の循環、無限の可能性を秘めた「根源的な力」が表現されています。
 この絵は、中国の武当山に代々伝統的に伝わってきた、符図として観念を写意した写意画で、行気(ぎょうき=気の流れ)によって、観念化された意が画面に宿る技法にて描きます。
座る人物が符図を掲げ、気の流れとともに描かれた写意画。道(タオ)の世界を象徴する霊的な図像が、観る者の心に響き、天地との調和と精神的な静けさをもたらす。 道(タオ)の世界には、「符図(ふず)」と呼ばれる霊的・象徴的な図像があります。
 これは一種の呪符でありながらも、単なる宗教道具にとどまらず、写意的に描かれた霊的絵画で、観る者の精神面に直接働きかける精神感応的な美術としての力を持っています。
 そのため、古来より多くの人々が、不老長寿、健康、吉祥、家庭の調和などを願い、こうした道家的写意画や符図を自宅や書斎、寝室に飾ってきたのです。絵を見ることは、単に美を愛でるのではなく、生活に「道」の気配を招き入れ、心身を調律するための行いとされていました。
 このように写意画は、単なる絵画表現にとどまらず、人の精神・生活・宇宙との調和を媒介する芸術です。
 この写意画は、「目で見るもの」ではなく「心で感じるもの」です。
 それは道(タオ)と通じ、自然の気と共鳴し、観る者の内面を静かに動かす力を持ちます。
 符図や写意画は、古より今に至るまで、”人の魂に語りかける「霊なる絵」”として息づいているのです。
 下記にこの写意画の意となる「哲理詩」無根樹の原文と、現代日本語訳とその解釈を添えておきましたので、是非お読みください。
 ※無根樹の作者「張三丰(1247年〜?)」は、太極拳を確立した人物としても有名で、太極拳にもこの無根樹を適用しました。補足として、武当山に伝わってきた太極拳との関連解釈も記載しておきました。

無根樹・第23首

写意画・無根樹100首-第23首#533– 道(タオ)の哲理詩に基づく写意画アート作品

原文

無根樹,花正新,一枝獨秀當日成。風吹無聲無淚滴,萬物皆空靜自清。

現代日本語

根のない木に、花は新たに咲く。その一枝は独り、日に向かって成長する。風が吹いても音ひとつなく、涙も滴らず、万物は空であり、静かにして自ずと清らかに。

解釈

この詩は、「新たな力の芽生え」と「静かなる悟り」を詠んでいます。とりわけ「無根樹」という表現が、自由の境地の中で咲く“奇跡的な成長”を象徴しています。【1】無根樹,花正新(むこんじゅ はなまさにあらたなり)根のない木に新しく咲いた花は、基礎のない状態でも一瞬の輝きを見せる存在です。新たに始まったばかりの者にも、確かな才能や美しさが宿ることを示唆しています。【2】一枝獨秀當日成(いっしどくしゅう ひにあたりてなす)「一枝独秀」は一輪だけ際立って優れている花の意。特に誰にも頼らず、ひとりでに咲き誇るその姿は、個の力、そしてその日のうちに成長を遂げる迅速な変化の象徴です。【3】風吹無聲無淚滴(かぜふけどこえなく なみだもしたたらず)どれほどの風が吹こうとも音ひとつ立てず、涙も流さない。これは“内に波立たぬ精神”“動じない心”を表します。外の刺激に対し、静寂を保つ心の強さを説いています。【4】萬物皆空靜自清(ばんぶつみなむなり しずかにしておのずからきよし)この句は仏教的な「諸法無我・諸行無常」観を含みます。すべては空であり、執着を離れたとき、世界は静かで清らかになるという深い境地です。

太極拳との関連解釈

第23首は、太極拳における「初心者の覚醒」「静けさの中の変化」を象徴します。【1】無根樹,花正新:新たに芽生える力まだ経験が浅くても、正しく稽古を積めば、新たな芽吹きは必ずある。それは儚くも力強い希望です。【2】一枝獨秀當日成:個の覚醒誰かと競うのではなく、自らの道を歩み、ある瞬間に一気に花開く成長。太極拳でも、ある日突然「氣」や「勁」の感覚がわかる瞬間があります。【3】風吹無聲無淚滴:不動心外部からの干渉に反応せず、内なる静けさを保つ精神状態。これは太極拳の「静中動」「動中静」の理念にも通じます。【4】萬物皆空靜自清:空と調和すべての現象を「空」と捉えることで、自他の境界を越え、天地との一体感が生まれます。これは太極拳の最終的な「無為自然」への入り口です。

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