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写意画・無根樹100首-首外第6首#432

写意画・無根樹100首-第6首#552– 道(タオ)の哲理詩に基づく写意画アート作品

 無根樹の詩には、天地との調和、陰陽の循環、無限の可能性を秘めた「根源的な力」が表現されています。
 この絵は、中国の武当山に代々伝統的に伝わってきた、符図として観念を写意した写意画で、行気(ぎょうき=気の流れ)によって、観念化された意が画面に宿る技法にて描きます。
座る人物が符図を掲げ、気の流れとともに描かれた写意画。道(タオ)の世界を象徴する霊的な図像が、観る者の心に響き、天地との調和と精神的な静けさをもたらす。 道(タオ)の世界には、「符図(ふず)」と呼ばれる霊的・象徴的な図像があります。
 これは一種の呪符でありながらも、単なる宗教道具にとどまらず、写意的に描かれた霊的絵画で、観る者の精神面に直接働きかける精神感応的な美術としての力を持っています。
 そのため、古来より多くの人々が、不老長寿、健康、吉祥、家庭の調和などを願い、こうした道家的写意画や符図を自宅や書斎、寝室に飾ってきたのです。絵を見ることは、単に美を愛でるのではなく、生活に「道」の気配を招き入れ、心身を調律するための行いとされていました。
 このように写意画は、単なる絵画表現にとどまらず、人の精神・生活・宇宙との調和を媒介する芸術です。
 この写意画は、「目で見るもの」ではなく「心で感じるもの」です。
 それは道(タオ)と通じ、自然の気と共鳴し、観る者の内面を静かに動かす力を持ちます。
 符図や写意画は、古より今に至るまで、”人の魂に語りかける「霊なる絵」”として息づいているのです。
 下記にこの写意画の意となる「哲理詩」無根樹の原文と、現代日本語訳とその解釈を添えておきましたので、是非お読みください。
 ※無根樹の作者「張三丰(1247年〜?)」は、太極拳を確立した人物としても有名で、太極拳にもこの無根樹を適用しました。補足として、武当山に伝わってきた太極拳との関連解釈も記載しておきました。

無根樹・第6首

写意画・無根樹100首-第6首#552– 道(タオ)の哲理詩に基づく写意画アート作品

原文

無根樹,花正孤,借問陰陽得類無? 雌雞卵,難抱雛,背了陰陽造化爐。

現代日本語

根のない木に、ひとり咲く孤独な花。この世の理(ことわり)に、陰陽の相応しきものはあるだろうか?雌鶏が産んだ卵では、雛は抱けぬ。それは陰陽の生成炉を背いたものだから。

解釈

この詩は、自然界においてすべての生成は陰と陽の調和によって成り立っていることを説いています。【1】無根樹,花正孤(むこんじゅ はなまさにこなり) 根のない木とは、自由な存在の象徴。その木に一輪だけ咲く花は、自由の中にしっかり存在する自己を現しています。【2】借問陰陽得類無(しゃもんす、いんようるいをえるや) この世には陰陽の道理に適ったものがあるか?と問いかけ、陰陽の調和なしには真の在り方は得られないと諭しています。【3】雌雞卵,難抱雛(しけいのたまご、ひなをだきがたし) 雌だけでは子は育たぬ。すなわち「陰」だけで「陽」がなければ、新たな命(成果)は得られません。【4】背了陰陽造化爐(いんようのぞうかろをそむけり) 陰陽が交わる修練の場を離れては、いかなる道も進展しない。宇宙の理から逸脱した存在は、成長も完成も望めないという教訓です。

太極拳との関連解釈

この詩は、太極拳における「陰陽の調和」「内外の一致」「剛柔の融合」を強く象徴しています。【1】無根樹,花正孤:形だけの演武に意味はない 見た目だけの太極拳には固定した形となる「根」がありません。随って、たとえ美しく舞えても、内なる無為自然の心がなければ、それは空虚な動きです。この句は、太極拳の基本「内なる根を持つこと」の大切さを告げています。【2】借問陰陽得類無:陰陽の道理を学ばなければ本質は見えない 太極拳は「動中に静、静中に動」が基本。陰陽の入れ替わり、相生・相克を理解せずに套路を繰り返しても、その技には深みがありません。この句は「陰陽という視点」を持つことの重要性を説いています。【3】雌雞卵,難抱雛:偏りある稽古では成果は出ない 柔ばかり、力ばかり、動きばかりに偏れば、バランスは崩れます。太極拳は「陰陽の融合」があってこそ力が生まれます。この句は、調和なき稽古の限界を教えてくれます。【4】背了陰陽造化爐:陰陽を無視すれば成長は止まる 理に背けば、太極拳は単なる体操に堕します。「陰陽造化の炉」とは、身体・精神・天地との一体化を表しています。この修練の場を離れては、どれほど動いても進化はありません。

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