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写意画・無根樹100首-第68首#395

写意画・無根樹100首-第68首#570– 道(タオ)の哲理詩に基づく写意画アート作品

 無根樹の詩には、天地との調和、陰陽の循環、無限の可能性を秘めた「根源的な力」が表現されています。
 この絵は、中国の武当山に代々伝統的に伝わってきた、符図として観念を写意した写意画で、行気(ぎょうき=気の流れ)によって、観念化された意が画面に宿る技法にて描きます。
座る人物が符図を掲げ、気の流れとともに描かれた写意画。道(タオ)の世界を象徴する霊的な図像が、観る者の心に響き、天地との調和と精神的な静けさをもたらす。 道(タオ)の世界には、「符図(ふず)」と呼ばれる霊的・象徴的な図像があります。
 これは一種の呪符でありながらも、単なる宗教道具にとどまらず、写意的に描かれた霊的絵画で、観る者の精神面に直接働きかける精神感応的な美術としての力を持っています。
 そのため、古来より多くの人々が、不老長寿、健康、吉祥、家庭の調和などを願い、こうした道家的写意画や符図を自宅や書斎、寝室に飾ってきたのです。絵を見ることは、単に美を愛でるのではなく、生活に「道」の気配を招き入れ、心身を調律するための行いとされていました。
 このように写意画は、単なる絵画表現にとどまらず、人の精神・生活・宇宙との調和を媒介する芸術です。
 この写意画は、「目で見るもの」ではなく「心で感じるもの」です。
 それは道(タオ)と通じ、自然の気と共鳴し、観る者の内面を静かに動かす力を持ちます。
 符図や写意画は、古より今に至るまで、”人の魂に語りかける「霊なる絵」”として息づいているのです。
 下記にこの写意画の意となる「哲理詩」無根樹の原文と、現代日本語訳とその解釈を添えておきましたので、是非お読みください。
 ※無根樹の作者「張三丰(1247年〜?)」は、太極拳を確立した人物としても有名で、太極拳にもこの無根樹を適用しました。補足として、武当山に伝わってきた太極拳との関連解釈も記載しておきました。

無根樹・第68首

写意画・無根樹100首-第68首#570– 道(タオ)の哲理詩に基づく写意画アート作品

原文

無根樹,花正白,心靜氣平陰陽合。無思無慮動自如,太極無為達無極。

現代日本語

根のない木に、白い花が咲く。心が静まり、氣が穏やかに整えば、陰陽は自然に調和する。思いも憂いもなければ、動きはおのずと自由となる。太極は無為のままに、無限へと至る。

解釈

この詩は、「無為と自然な調和」、そして「無為による極致への到達」を語っています。外部の刺激にとらわれず、内面の静けさと氣の整いによって、真に自由な動きと無限の可能性に至る境地を表しています。【1】無根樹,花正白(むこんじゅ はなまさにしろし) 根のない木に咲く白い花は、無垢で純粋な心の象徴です。不安定な中にあっても、清らかで静かな美しさが顕れることを表しています。【2】心靜氣平陰陽合(こころしずかにして きたいらかに いんようあう) 心が静まり、氣が平らかに流れれば、陰と陽は自然に調和し、争いも葛藤も生まれません。静寂の中に統合の力が働きます。【3】無思無慮動自如(おもいなく うれいなく うごきおのずとじゆうなり) 思考や心配がなければ、行動は自然と自由になります。計らいを捨て、自然の流れに任せることで、本来の動きが生まれます。【4】太極無為達無極(たいきょくむいにして むきょくにいたる) 太極は無為自然に従い、やがて限りなき境地「無極」に到達します。無為とは何もせずとも全てを為す道であり、太極の本質がここにあります。

太極拳との関連解釈

第68首は、太極拳の「無為自然な動き」と「心身の調和から生まれる無限の境地」を象徴しています。【1】無根樹,花正白:純粋性と心の静けさの象徴 白い花は雑念のない状態を示し、修練者が心を清めることで、動作に透明感と柔らかさが生まれます。【2】心靜氣平陰陽合:内外のバランス 太極拳では、心が穏やかで氣が滞りなく流れてこそ、陰陽のバランス(例えば開合・虚実)が成立します。これは「気沈丹田」と「松静」の実践でもあります。【3】無思無慮動自如:無為の動作 太極拳において、動きが自然であるためには、頭で考えるのではなく、心身を空にすることが大切です。これにより、相手の動きに即座に反応できる「随機応変」が可能になります。【4】太極無為達無極:極致への修養 太極拳の奥義は「無為自然」にあります。意図的に動くのではなく、自然に氣が導くままに動くことで、最終的に限界のない動き、「無極」へ至るという哲理が現れています。

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