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写意画・無根樹100首-首外第9首#307

写意画・無根樹100首-首外第9首#407– 道(タオ)の哲理詩に基づく写意画アート作品

 無根樹の詩には、天地との調和、陰陽の循環、無限の可能性を秘めた「根源的な力」が表現されています。
 この絵は、中国の武当山に代々伝統的に伝わってきた、符図として観念を写意した写意画で、行気(ぎょうき=気の流れ)によって、観念化された意が画面に宿る技法にて描きます。
座る人物が符図を掲げ、気の流れとともに描かれた写意画。道(タオ)の世界を象徴する霊的な図像が、観る者の心に響き、天地との調和と精神的な静けさをもたらす。 道(タオ)の世界には、「符図(ふず)」と呼ばれる霊的・象徴的な図像があります。
 これは一種の呪符でありながらも、単なる宗教道具にとどまらず、写意的に描かれた霊的絵画で、観る者の精神面に直接働きかける精神感応的な美術としての力を持っています。
 そのため、古来より多くの人々が、不老長寿、健康、吉祥、家庭の調和などを願い、こうした道家的写意画や符図を自宅や書斎、寝室に飾ってきたのです。絵を見ることは、単に美を愛でるのではなく、生活に「道」の気配を招き入れ、心身を調律するための行いとされていました。
 このように写意画は、単なる絵画表現にとどまらず、人の精神・生活・宇宙との調和を媒介する芸術です。
 この写意画は、「目で見るもの」ではなく「心で感じるもの」です。
 それは道(タオ)と通じ、自然の気と共鳴し、観る者の内面を静かに動かす力を持ちます。
 符図や写意画は、古より今に至るまで、”人の魂に語りかける「霊なる絵」”として息づいているのです。
 下記にこの写意画の意となる「哲理詩」無根樹の原文と、現代日本語訳とその解釈を添えておきましたので、是非お読みください。
 ※無根樹の作者「張三丰(1247年〜?)」は、太極拳を確立した人物としても有名で、太極拳にもこの無根樹を適用しました。補足として、武当山に伝わってきた太極拳との関連解釈も記載しておきました。

無根樹・首外第9首

写意画・無根樹100首-首外第9首#407– 道(タオ)の哲理詩に基づく写意画アート作品

原文

無根樹,花正沉,清泉石上流。日光穿山頂,陰陽相搏,生死交情。

現代日本語

根のない木に、深く沈んだ花が咲いている。清らかな泉が岩の上を流れ、日の光は山の頂を貫く。陰と陽がぶつかり合い、そのなかに生と死の交わりがある。

解釈

この詩は、「深層の気づき」と「生死の接点にある陰陽の交差」をテーマとしています。根なき木に沈むように咲く花は、内省と静けさの象徴であり、自然の中で陰陽が対峙しながら調和していく様を描いています。【1】無根樹,花正沉(むこんじゅ はなまさにしずむ) 根のない木に咲く、沈みゆくような花。それは静寂と深み、内なる思索の象徴。派手さではなく、深く息づく生命の存在を表しています。【2】清泉石上流(せいせん いしのうえをながる) 清らかな泉が岩の上を絶えず流れるさまは、時の移ろいと精神の浄化を象徴します。太極の「柔中に動きあり」を感じさせる自然の運行です。【3】日光穿山頂(にっこう さんちょうをつらぬく) 太陽の光が山頂を突き抜けるさまは、真理が闇を貫く比喩。【4】陰陽相搏,生死交情(いんようあいうちして せいしこうじょうす) 陰と陽が対立し交差する中に、生と死、光と闇の深い関係が生まれる。

太極拳との関連解釈

首外第9首は、太極拳の「静と動、生と死、陰陽が交わる核心」に迫る詩です。【1】無根樹,花正沉:沈静な精神、内在の力 太極拳では、表面の動き以上に内なる沈静が重要です。沈む花は、目立たぬところにある深い功を象徴しています。【2】清泉石上流:途切れぬ気の流れ 泉が岩の上を流れ続けるように、太極拳の気は止まることなく、柔らかに、しかし力強く流れます。動作の滑らかさと持続性が重視されます。【3】日光穿山頂:意の貫通 気を一点に集中し、意を通すことは太極拳の技術の要です。太陽が山を貫くように、意が相手の中心に届く感覚です。【4】陰陽相搏,生死交情:真剣勝負における気の交錯 陰と陽のぶつかり合いは、単なる対立ではなく、気の融合でもある。太極拳においては、生死を分ける瞬間に、技と心が一体化する「交情」の瞬間が訪れます。

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