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写意画・無根樹100首-第81首#357

写意画・無根樹100首-第81首#472– 道(タオ)の哲理詩に基づく写意画アート作品

 無根樹の詩には、天地との調和、陰陽の循環、無限の可能性を秘めた「根源的な力」が表現されています。
 この絵は、中国の武当山に代々伝統的に伝わってきた、符図として観念を写意した写意画で、行気(ぎょうき=気の流れ)によって、観念化された意が画面に宿る技法にて描きます。
座る人物が符図を掲げ、気の流れとともに描かれた写意画。道(タオ)の世界を象徴する霊的な図像が、観る者の心に響き、天地との調和と精神的な静けさをもたらす。 道(タオ)の世界には、「符図(ふず)」と呼ばれる霊的・象徴的な図像があります。
 これは一種の呪符でありながらも、単なる宗教道具にとどまらず、写意的に描かれた霊的絵画で、観る者の精神面に直接働きかける精神感応的な美術としての力を持っています。
 そのため、古来より多くの人々が、不老長寿、健康、吉祥、家庭の調和などを願い、こうした道家的写意画や符図を自宅や書斎、寝室に飾ってきたのです。絵を見ることは、単に美を愛でるのではなく、生活に「道」の気配を招き入れ、心身を調律するための行いとされていました。
 このように写意画は、単なる絵画表現にとどまらず、人の精神・生活・宇宙との調和を媒介する芸術です。
 この写意画は、「目で見るもの」ではなく「心で感じるもの」です。
 それは道(タオ)と通じ、自然の気と共鳴し、観る者の内面を静かに動かす力を持ちます。
 符図や写意画は、古より今に至るまで、”人の魂に語りかける「霊なる絵」”として息づいているのです。
 下記にこの写意画の意となる「哲理詩」無根樹の原文と、現代日本語訳とその解釈を添えておきましたので、是非お読みください。
 ※無根樹の作者「張三丰(1247年〜?)」は、太極拳を確立した人物としても有名で、太極拳にもこの無根樹を適用しました。補足として、武当山に伝わってきた太極拳との関連解釈も記載しておきました。

無根樹・第81首

写意画・無根樹100首-第81首#472– 道(タオ)の哲理詩に基づく写意画アート作品

原文

無根樹,花正明,心隨氣轉體如瓊。陰陽進退皆有度,太極之道妙中平。

現代日本語

根のない木に、明るい花が咲く。心は気の流れに従って動き、身体は玉のようにしなやかで清らか。陰と陽の進退にはすべて節度があり、太極の道は、中庸の中にその妙理がある。

解釈

この詩は、「明澄な心と中庸の美」を通して、理想的な心身のあり方を示しています。内と外の調和が取れ、すべてが自然な流れに沿って展開される様子が描かれています。【1】無根樹,花正明(むこんじゅ はなまさにあきらか) 根のない木に咲く、澄み切った花。これは、迷いなき純粋な心の象徴であり、心が清明であれば、基盤がなくとも美が育つことを表しています。【2】心隨氣轉體如瓊(こころはきにしたがいてめぐり からだはたまのごとし) 心が気の流れに従えば、身体の動きは自然と円滑になる。その動きは玉のように滑らかで、硬くもなく弱くもない。道における理想的な身法を描いています。【3】陰陽進退皆有度(いんようのしんたい みなほどあり) 陰陽の運動には、常に節度があり、進むにも退くにも度がある。これは道における「過不及」のない姿を示します。【4】太極之道妙中平(たいきょくのみちは ちゅうびょうにみょうあり) 太極の道は、中庸の中にこそ妙がある。極端に走らず、偏らず、均衡の中に奥深い理が宿るのです。

太極拳との関連解釈

第81首は、太極拳における「中庸の美」と「柔らかさの中の芯」をよく示しています。【1】無根樹,花正明:明るく咲く花は澄んだ心の象徴 心の迷いが晴れた時、気の流れも滞らず、動きに透明感が現れます。無根樹の花は、そうした明澄な心を映す存在です。【2】心隨氣轉體如瓊:意と気の一致が身体を磨く 太極拳では、心と気が一致すれば、身体は自ずと正しく動くようになります。その動きは滑らかで硬さがなく、瓊玉(けいぎょく)のような美しさを備えます。【3】陰陽進退皆有度:動きには分寸とリズムがある 太極拳には攻めと引きの沖和が起こります。前進も退却も、常に太極であり、急ぎすぎず、遅れすぎず発揮されます。これが太極拳の「有度」の理です。【4】太極之道妙中平:偏らずに中心を保つことが奥義 中庸とは、ただの平均ではなく、最も安定した立脚点であり、すべての技がそこから生まれる。この平衡感覚こそが太極拳の真髄です。

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